「教師が嫌い」から「教師って凄い」になるまでの物語。
- フェローインタビュー
学校に行くのは好きだったけれど、先生は嫌いだったという人は意外といるのではないでしょうか? 今回インタビューした大野さんは、学校の先生が嫌いな子どもでした。だからこそ、「自分と同じような経験をして欲しくない」と教員を志したそうです。その大野さんが、公立小学校で教員を経験して、いま感じることを語ってもらいました。
大野拓哉
※表は横にスライドできます。
赴任期間 | 2017~2019(5期フェロー) |
赴任先 | 福岡県 |
校種 | 小学校赴任(3年生、4年生担任) |
出身大学 | 琉球大学(教育学部) |
教員免許 | 小学校教員免許 |
経歴 | TFJフェロー→人材業界で企画職 |
趣味 | 読書、サーフィン、食べること |
好きな言葉 | やればできる |
一言メモ | ソフトな雰囲気とは裏腹に、課題と向き合う姿勢はハード! |
教員になろうと思ったのは、好きな先生がいなかったから。
まず、教育に興味を持ったきっかけを教えてください。
小中高と学校は好きだったんですが、先生は嫌いでした。それで、自分の進路を考えるときに、「教師が嫌いだからこそ、できることもあるのでは」という思いがあり、教員になろうと思ったんです。逆説的ですが、好きな先生がいなかったから、先生になろうと思ったというのが教育に興味を持ったきっかけです。
出身は茨城県ですが沖縄の大学を選びました。理由はいくつかあるのですが、一番は離島で教員という仕事ができる。人口が少ない離島なら、子どもたちとより深い関わりができるのではないかという仮説を立てたんです。離島教育をするなら沖縄だろうと考えて進学しました。今考えると、とても浅はかで恥ずかしいのですが…
結論から言うと、この仮説は正しくありませんでした。学級の人数が少ないからと言って、ひとりひとりと深い関わりができるわけではありません。一人一人にかける時間が増えたとしても、そこに子ども達にどうなって欲しい、こんなことを伝えたいのだという強い思いがないと、子ども達と向き合っていくのは難しいのだと実感しました。
教員採用試験を受けるのではなく、TFJのフェローになった理由を教えてください。
教員になるつもりだったので教育学部を専攻していました。ただ、卒業して教員になることに迷いもありました。「教師が嫌いだから」という理由で教員になることへの不安や、教員以外にも教育に関わる仕事もあるのではないか?と考えていました。そんな中、在学中に一年半休学して海外に行き、色んな国を旅して回りました。たくさんの人に出会って、自分自身の価値観やこれからどうなっていきたいかが、大きく変化した期間でした。それから、いろいろ迷った結果、教育の分野で自分がやりたいと思える仕事を見つけよう。と考えました。ただ、社会で働きながら自分のやりたいことが本当に実現できるのかは、正直わからないままでした。
「教育をもっと良くしたい」ということだけは明確だったんですが、なにを変えたい、なにをもっと良くしたいという具体的なプランはありませんでした。ただ、教育を良くしたいと言う以上、学校現場を知らないといけないだろうという思いもあり、進路に悩みました。教育を外側から良くしていくか、現場に立って良くしていくか、悩んだ末にTFJで2年間フェローとして現場で働くという選択をしました。
子どもがやりたくなるような環境を創ることと問い返すこと。
教員になって、どんなことを感じましたか?
最初の1カ月半くらいは、なかなかうまくいきませんでした。子どもとどう関わっていくのかを模索する毎日でした。
1学期が終わるころになると、少しずつ子どもとの関わり方が分かってきて、「自分は何がしたかったんだっけ?」と原点回帰する余裕が生まれました。そこで考えたのは、抑圧的に子どもを動かすとか、声を荒げるといった方法には抵抗を感じるということです。ただ、いままで自分がそういう教育しか受けていなかったので、モデルがなく必死で考える日々が続きました。それでも、必ず良い方法があると信じて教育書を読み漁ったり、周りの先生に質問したり、試行錯誤を続けました。
2学期の初めころになると、試行錯誤の中で少しずつ自分のスタイルができていきました。ポイントは、子どもに任せるということです。最初は、子どもが動きやすいように、自分が環境を整えていました。それから、いろいろなことを子どもに任せていって、課題が見つかればコミュニケーションをとって、やり方や考え方を変えていくというスタンスで関わるようになりました。
具体的には、給食当番でいかに早く効率的に配れるかを作戦会議して、実行するということをやっていました。実行した後は、「うまくいったこと」と「うまくいかなかったこと」を確認して、改善しながら進んでいくというサイクルを回すようにしました。そのほかも子ども達と一緒に考えながら、決めていくというスタイルを取っていました。
子どもと関わるときに意識していたことはありますか?
1つは、子どもへの期待値を高く持つことです。目標が達成できるかどうかよりも、目標に向かっていく本気度を求めました。なので、習慣的に子どもに問い返すようにしていました。できなかったことがあったときには、「どうしてできなかったんだろうね」と子どもに問い返します。最初の頃は、答えに窮する場面が多かったですが、問い返し続けていくことで、だんだんと「次はどうするか」の意志表明をできるようになっていきました。こちらからは絶対に答えを言わないようにしていました。
もう1つは、子どもがやりたいと思えるような雰囲気や仕掛けを創ることです。これを意識するようになったのは、「押し付けても勉強をするようにはならない」と実感した経験があったからだと思います。どんな子どもでも、「やりたい!」というきっかけがあると思うんです。子どもはやりたくないわけではなくて、いまやっている方法が自分に合った方法ではないだけです。なので、「やりたい!」という瞬間を見逃さないことと、やるたくなるような環境を創ることに注力していました。
「学校の先生嫌い」が「学校の先生凄い」になった。
2年間教員を経験して、どんなことを感じましたか?
学校ではないところから、子どもたちに関われるようになりたいと思うようになりました。もともと学校の先生が好きでは無かったことから、教員になり、2年間働きました。でも、学校の先生たちはめちゃくちゃ一生懸命で、目の前の子どもたちに向き合っている先生はたくさんいて、純粋に学校の先生って凄いと思ったんです。
でも、全部のクラスが子どもに合った教育をできているわけではなくて、「大人なんてクソだ!」と子どもに言わせてしまう現場があるのも事実です。自分も子どもの時はそうでした……。先生やクラスによって、隔たりがあるなというのが素直な感想です。この現状をどうにかしたいと思ったときに、大人が学び続ける必要があると思ったんです。そして、それができるのは教員ではないとも思いました。
教員を経験したことで、「組織がどうやったら最大のパフォーマンスを出せるか?」に興味が湧いてきました。それで、組織運営に関わることを前提に「組織」「人材」「教育」のキーワードにマッチしたのが今の会社でした。
いまはその課題に対して、どうアプローチしていますか?
いまは、教育サービスの企画をしています。対象は、子どもから大人に変わりましたが、やっていることに大きな違いはないと感じています。どうやったら学びたいと思える仕掛けを作れるか、学ぶって楽しいと思える内容を作れるか、そんなことを日々考えながら仕事をしています。
そして、仕事に対する一番のモチベーションは、「2年間関わった子どもたちに、誇れるような仕事をしたい」ということです。教員時代もそうでしたが、自分の仕事に誇りをもっている姿をこれからも見せ続けたいと思っています。
(編集後記)
フェロー(教員)になる前は、学校現場ある教育課題が漠然としか考えられていなかったという大野さん。小学校教員を経て、自分で考えた課題に対して突き進む姿は、パワフルでありながら謙虚だと感じました。これからの大野さんのアウトプットが楽しみです!
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