教育と人道支援の2本柱。国境なき医師団から中学校教員へ!
- フェローインタビュー
「教育」と「人道支援」という2つの柱でキャリアを積んできた長村さん。国内外問わずキャリアを切り開き、自分自身を磨き続けています。そのキャリアの1つがTeach For Japan(以下、TFJ)です。今回のインタビューでは、TFJに関わるまでの経緯や中学校英語教員として意識してきたことを伺わせてもらいました。
長村裕
※表は横にスライドできます。
赴任期間 | 2015~2017(第3期フェロー) |
赴任先 | 福岡県 |
校種 | 中学校(英語) |
教員免許 | 特別免許状(福岡県義務制において初) |
出身大学 | 和歌山大学(教育学部)・University of East Anglia修士課程修了 |
経歴 | 株式会社ウィザス→青年海外協力隊→特定非営利活動法人ピースウィンズ・ジャパン →国境なき医師団→Teach For Japan→福岡雙葉中学校・高等学校→国境なき医師団 |
趣味 | スキューバダイビング、バイクツーリング、温泉めぐり |
好きな言葉 | Nothing Ventured, Nothing Gained |
一言メモ | キーワードは「プロフェッショナル」。冷静な頭脳と燃え上がる魂の持ち主。 |
自分が変わるために、夢を追い求めて海外へ。
そして、海外で得た経験を日本の教育に還元したい。
大学卒業後、一度就職したにも関わらず、
キャリアチェンジをした理由を教えてください。
最初のキャリアは学習塾で、生徒に数学を教えることでした。塾長まで任せてもらうようになりましたが、生徒と関わっていく中で「やる気のない生徒を、やる気にさせるにはどうしたらいいんやろう?」というテーマが常にありました。小手先でやる気にさせることはできても、自主的に、継続的にやる気を引き出すのは難しく感じました。
また、生徒に「夢を持とう!」と言っている自分は、果たして夢に向かって進んでいるのかと疑問を持つようになりました。説得力がないと思ったんです。それで、先生が変わる必要があるなと思ったんです。
魅力的な人間になるために、日本の教育をもっと良くするために、世界で活躍できるプロフェッショナルになろうと決めました。そのためには「2年間の海外勤務」「修士課程修了」「英語力」が最低限必要であるとわかり、この3つを手に入れるために行動していきました。
海外ではどのような活動をされていましたか?
まずは、青年海外協力隊でキルギスに行き2年間海外で経験を積みました。青年海外協力隊のときに貯めた資金でイギリスの大学に留学し、修士課程を修了しつつ、英語を必死に勉強しました。
修士論文のテーマは「難民キャンプでの平和教育が有効かどうか」で、その時に出した結論は「難民キャンプでの平和教育は効果がない」というものでした。ただ、国際開発の現場に行ってみないとわからないと思ったので、特定非営利活動法人ピースウィンズ・ジャパンに参加して南スーダンに行きました。
そのころの南スーダンは、スーダンから独立した直後だったので、やっと自分の村に帰ってこれた帰還民の生活は生き抜くことがやっとの状況でした。そこでは、ライフラインの整備や物資の支給などをサポートしました。しかし、2013年12月に内紛が起き、国外へ緊急避難を余儀なくされました。でも、まだ南スーダンで人道支援をしたいという気持ちがあったので、南スーダンへの派遣が可能だった国境なき医師団のスペインチームに参加して、南スーダンに戻り、難民キャンプでのサポートを続けていました。
人道支援の分野で活躍する中で、なぜTFJのフェローになろうと思ったのですか?
国境なき医師団に在籍していたころに、日本で待機している時期がありました。その時に、たまたまTFJを知ってプログラムの内容に興味を持ちました。
青年海外協力隊や国境なき医師団などの活動を通して海外での経験を積み、ようやく日本の教育に貢献できるようになったのではないかと思っていた頃だったのでタイミングがよかったです。日本の教育に貢献したいという気持ちはずっと持っていたので、次のステップとしてTFJで教員になることを決めました。
新人として職員室のゴミを毎朝集めた学校現場。
「生徒が全て自分たちでできる」ことをゴールにした2年間。
南スーダンの難民キャンプと日本の公立中学校は全く違う環境だと思いますが、どのようなことを意識して教員1年目を迎えましたか?
教員としては1年目なので、「新人」という姿勢を貫いて、自分にできることを徹底して行いました。例えば、最初の1学期間は、毎朝職員室の先生方のゴミを集めていましたし、運動会などの行事があれば積極的に動いて学校に貢献するように意識していました。
また、学年主任の先生や校長先生には、自分が担当する英語の授業でやろうとしていることを確認しながら進めていきました。ちょうど電子黒板が導入されたタイミングでもあったので、授業で積極的にICTを取り入れていきました。
そうすることで、「英語の授業」と「ICT」という自分の役割を明確に持つことができたと思います。何よりも、教務主任の先生や校長先生が他の先生方と上手に繋げてくださったので、すぐに学校に馴染むことができました。
英語の授業では、どんなことを意識していましたか?
一言で表現するなら「生徒がすべて自分たちでできる」ということです。
教員が話す時間は、最初の5分くらいで、「今日の課題ができるようになったら、こういうことができるようになるよ」ということを示します。そうすれば、あとは生徒達がグループで学習を進めていきます。体育の授業を黒板でやっても、体育ができるようならないのと同じで、教員が英語を話して文法を丁寧に説明しても、生徒は英語を話せるようにはなりません。
もちろん、最初の授業からいきなり生徒にすべてをさせることはできません。まずは、生徒が自分たちだけで文法の決まりの糸口を探すという「楽しみ」を知ってもらうことや、教えられるのではなく自分たちで考えて学ぶことが「理解」につながり、テストでも「点数を採る」ことができるとわかってもらうことが大切です。
「生徒がすべて自分たちでできる」状態にするには、復習すること、準備をすること、授業中に緊張感があることを意識していました。
私は、語学習得のポイントは「繰り返し」だと思っています。復習をどれだけやるかが英語を身に付けるためには重要です。当たり前のことですが(笑)なので、1年間の計画を立てるときに、先取りできるところはどんどん先取りして、復習の時間を多くとるようにしました。生徒の活動が中心の授業だったので、宿題はほぼ出していません。成長している感覚が身に着くと生徒が勝手に勉強するようになりましたから、そこを教員が邪魔しないように心がけました。
また、授業で使うプリントは自作し、1年間分をまとめて冊子にして生徒に渡していました。授業中の雰囲気は笑いが絶えないように楽しくしていましたが、怒るときは徹底的に怒るようにしていました。生徒に信頼してもらうには、厳しく叱責することも必要だと思っています。楽しさの中に緊張感を持つようにしていました。何かに真剣に取り組む時には、緊張感があるからこそ、楽しいと思える。まさに、緊張と緩和です。
第一線で活躍するプロフェッショナルになり、日本の教育に還元したい。
これからはどんなキャリアをイメージされていますか?
4年間教員として働く中で、感じていたことは「開発途上国で仕事をする感覚が薄れていき、生徒にタイムリーな感性や情報を伝えられなくなっているのではないか」ということです。このまま教員を続けていれば、必ず古い感覚や情報を生徒達に伝えるようになってしまうと危機感を持つようになりました。
なので、また自分自身をアップデートするために、再び海外に出て行き、人道支援のプロフェッショナルになろうと考えています。
具体的には、国境なき医師団であれば、現場で経験を積んで、1つのプロジェクトのマネージャーを経験し、1つの国のすべてのプロジェクトを統括するポジションを目指していこうと思っています。10年計画になりますが、プロフェッショナルになるにはそこまでいかなければダメだと思っています。
そして、第一線で働く人道支援のプロフェッショナルでありながらも、その経験を日本の教育に還元することができるようになっていきたいです。どんな方法かはまだわかりませんが、「教育」と「人道支援」のどちらにも貢献できる自分に合った道を模索していきたいと思います。
(編集後記)
南スーダンでは銃弾が飛び交う中、車を運転して国連キャンプまで自力で避難したという長村さん。中学校で担任をした英語のクラスの成績も右肩上がり。豊富な経験を威張る様子は微塵もなく、たっぷりのユーモアでおもしろく話してしまうところに人としての魅力を感じます!
Teach For Japanは、学校の教室から世界を変えていきたいと考えています。多様な教育課題があるからこそ、学校へ情熱ある多様な人材を「教師」として送り出しています。教室で生まれたインパクトを、学校・地域・社会へと広げ、教育改革の一翼を担います。
参考リンク
株式会社ウィザス
青年海外協力隊
特定非営利活動法人ピースウィンズ・ジャパン
国境なき医師団
福岡雙葉中学校・高等学校
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