フェローインタビュー fellowinterview

「Education」という共通言語。銀行員、JICAボランティアを経て小学校教員へ。

地元岡山での銀行員、ブラジルでのJICAボランティアを経て、Teach For Japanのフェローシップ・プログラムで小学校教員になった森清フェロー。小学校の教員になったきっかけやフレッシュな視点で「教員」という仕事の特性や魅力をうかがいました。森清フェローの視点から、教員の世界をのぞいてみませんか?

森清将史

※表は横にスライドできます。

赴任期間2020~2022年(8期フェロー)
赴任先長崎県
校種小学校赴任(1年目:4年生を担任)
出身大学神奈川大学(外国語学部英語英文学科)
教員免許臨時免許
経歴株式会社中国銀行→ソニー生命保険株式会社→JICA日系社会青年ボランティア→Teach For Japanフェロー
趣味サウナ、爆音のスピーカーでラテンの音楽を聞く
好きな言葉チャンスは貯蓄できない

野球を教えて目にした子どもの変化・成長。× Teach For Japanのフェローシップ・プログラム。

教員になるまでのキャリアは?

大学4年生まで体育会硬式野球部だったので、アルバイトもしたことがなく、外国語学部でしたが英語を話せるわけでもありませんでした。野球という幅だけで生きていたんだと思います。

最初の就職活動は、地元で就職できればいいかなと思っていたので、地元の銀行に内定をいただいて銀行員を1年半していました。いま振り返ると、当時は自分の人生が見えていなかったというか、身近にロールモデルがいなかったんだと思います。

銀行員を1年半で退職されてJICAボランティアに参加したきっかけは?

大学4年生の6月で野球部を引退したあとに、JICAボランティアの存在を知るきっかけがあり、JICAボランティアに参加して野球を海外に普及していた方の存在も知って、「かっこいいな!自分も海外で野球を教えてみたいな」と思ったんですよね。

ただ、すでに就職が決まっていたので、「海外で野球を教えてみたい」という思いを持ちつつ就職しました。結果的に、その思いを捨てきれず、社会人1年目の終わりにJICAボランティアに応募して、翌年から野球を教えるためにブラジルに派遣することが決定しました。

ブラジルでは、現地の子どもに野球を教えていました。ブラジルという未知の土地、指導者としても新米、言葉もわからないという状態でしたが、知り合いの野球指導者やYouTube動画から学んで実践する試行錯誤の日々を過ごしました。

教員を目指すきっかけは?

振り返ると、野球の指導者を経験する中で、子どもたちが日々変化、日々成長していくことを知れたんですよね。「あっ、面白いな」「これが子どもに教える仕事の魅力なんだな」と感じましたし、その感情はずっと変わりません。

JICAボランティアは2年間の派遣だったので、帰国が近づいてきた頃から、どう就活をしようか考えていました。そんな時に、NEWSPICKSを見ていたら「体育教師から、ハーバードとスタンフォード大へ」という松田さん(Teach For Japan創設者)のインタビュー記事が目に留まったんです。「この人かっこいいな」と思っていろいろ調べていったら、Teach For Japan(以下、TFJ)というキーワードが出てきて、TFJの存在を知りました。

僕は教員免許を持っていなかったので、臨時免許制度を利用したTFJのフェローシップ・プログラムがなければ教員になる選択肢はなかったと思います。そして自分が一番魅力を感じたのは、TFAll(TFJも属している世界54ヶ国のネットワーク)というグローバルネットワークです。ここに身を置けば、世界とつながった状態で日本で働くことができると直感的に思いました。なんかグローバルっぽいぞっていう。(笑) 

教員は、自分から何かを生み出すことができる楽しくて自由な仕事。

TFJに参加しての率直な感想は?

研修では、いろんな知識のインプットを受けて、毎回議論させられる感じでしたね。なので「頭を使って学ばないといけないな」と感じました。いまも、自分の思考や考察を、日々深めないといけないと思っています。

また、フェロー候補生同士が形成するコミュニティの価値はすごく高いです。何よりもみんな意識が高い! Slackで活発にやり取りがされたり、オンライン研修でも自分が勉強したことをプレゼンしたりする方がいたり、教育について「これを変えたい!」「こうしていきたい!」みたいな想いがあったり。ただ一方で、ブラジルで野球指導者をした経験から、実体験ベースで現場に入っていくことの重要性を感じていました。なので、コミュニティに価値を感じながらも、自分の中にある「現場意識」を大切にしながら関わるようにしていました。

学校現場に入ってみて感じたことは?

「よし!教員に挑戦してみよう!」というマインドで教員になれているので、勤務時間中に自分で考えて、自分から何かを生み出すことができる楽しさを感じています。

新卒で銀行員になったときは、定時で帰っていたはずなのに1日がすごく長かったです。大きな組織の中の一部として毎日書類をさばいてたので、自分から何かを生み出している感覚がなかったです。

教員もキツイことはいっぱいありますが、ギリギリでもがかせてもらっている感覚です。自分で考えながらもがかせてもらえてる時点で、幸せなことだと感じています。

教員は自由度が高い仕事だと感じます。職員室でのコミュニケーションは大切ですが、クラスのことを考えたり、授業準備をする時に1人で仕事に没頭できる瞬間があります。自分でペース配分できる感じがすごく良いなと思っています。世間的にはすごくお堅い仕事で、僕自身も自由がないんじゃないかと思っていたので、良いギャップを感じていますね。

※森清フェローは「小学校の先生4ヶ月やってみて」というテーマをnoteで発信しています。詳しく知りたい方こちら▼
小学校の先生を4ヶ月やってみて|サンパウロモリキヨ

4か月間で実践してきたことは?

まずは、一人前の教員にならないといけないと思っていて、隠れたカリキュラムじゃないですけど、自分の発言と行動が伴っているかを意識しています。子どもたちや同僚の先生方に変な矛盾を生まないように自分を客観視して振り返っています。

また、だんだんと子どもへの声かけを意識するようになりました。一番はじめは37人学級でいっぱいいっぱいでしたが、最近ではふとした瞬間に声掛けをするようにしています。例えば、コーチングで学んだ存在承認の考え方を活かして、ただ「おはよう」と言うのではなく「〇〇さんおはよう」と言うように実践しています。

そして、最近ですが、週に1、2回簡単な日記を書いてもらっています。頻度は高くないですが、子どもたちへの理解がすごく深まりました。普段話しているだけでは分かっていなかったことがたくさんあったので、日記をきっかけにお話ができたり、声かけができたりします。それに、保護者の方に日記を見せながら話をすると、すごく安心して話を聞いてくれるのも日記の良い点です。

シンプルに授業力を上げること。自分の色を出すのはそれから

これからのチャレンジは?

まだまだ授業力を上げていかなきゃなと思っています。よく教頭先生が授業について指導してくださるんですが、授業内での声掛けや考えを深めるためのきっかけ作り、子どもとの双方向でのコミュニケーションをすることで、学級経営や規律の定着にもつながると思っています。授業力を上げることで世界が広がるじゃないですけど、幅が広がると思うので、いまはそこなのかなと。

あと、10月に運動会があります。僕、体育主任なので、運動会の提案に思考の半分くらいを持っていかれています。(笑) とにかく自分のキャパシティを上げていかないと、通用しないなと思っています。

運動会1つをピックアップしてみても、改めて教員の仕事ってすごいなと思います。僕の勤務している小学校は、全校児童約450人、そこに関わる教職員を含めると500人規模です。そう考えると運動会は500人規模の大イベントじゃないですか! その企画・運営をする経験はなかなかできない。やっぱり教員の仕事はすごいです。

(編集後記)
教員になったことで、「Education」という共通言語を取得し、多くの人と話ができるようになったと教えてくれた森清フェロー。教員でなくても、世の中に教える仕事をしている人はすごくたくさんいる。小学校4年生の担任をしていると話すと、子育て中・子育てを経験した親御さんとも話しが盛り上がるとのこと。森清フェローの話す通り、「English」よりも「Education」という共通言語話者の方が多いのかもしれない……。森清フェローが「Education」という共通言語でこれからどのような人たちとコミュニケートしていくか楽しみです!

参考
小学校の先生を4ヶ月やってみて|note

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