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フェローインタビュー fellowinterview

学校は社会に出るための練習の場。社会人経験を伝え、子ども達のさらなる成長機会を作りたい

今回は、フェロー第8期生の伊藤プラダハン信美(しのみ)さんをご紹介します。50歳でフェローになり、2022年3月で2年間のフェロー任期を終える信美さん。これまでは、民間企業で海外案件を担当しながら子育てとも向き合ってきた彼女が、なぜTFJのフェローになる道を選んだのか。その理由をお聞きしました。

また、赴任前から取り組みたかった、先生にアプローチして子ども達との接し方を変えていくことで、子ども達の成長機会をさらに増やせるような学校現場を作りたいという思いに対して、実際にどのように行動をなさったのかも伺いました。これからは一生教育に関わりたいと話し、4月からも引き続き中学校教員として働かれる信美さん。今後の活躍も楽しみです。

本記事は、40、50代の方でフェローに興味を持ちつつも挑戦するかどうか悩んでいる方、ライフイベント等により今後のキャリアに悩まれている女性の方、これまでの社会人経験を活かして教育現場に飛び込みたいとお考えの方には、特に参考になる内容となっています。ぜひ、最後までご覧ください。

出身大学現 大阪大学 外国語学部
旧 大阪外国語大学 インドネシア・フィリピン語学科 インドネシア語専攻
職歴株式会社タカラベルモント (海外営業)
株式会社サンテェム(バンコク子会社立ち上げ) 他
TFJフェロー(小学校/中学校講師)

社会人経験を経て、教育への想いが再燃。フェロー同期やTFJ職員という仲間がいることが決め手になった

まずは、フェローに応募された経緯を教えてください。

元々、教育には関心があり、小学校の頃から学校の先生になりたいという夢を持っていました。その後、成長する過程で英語にも興味を持ち、大学は外国語学部に進学しました。その時に中学校と高校の英語教員免許を取得しています。

学生時代、高校生の英語の家庭教師をしていたのですが、生徒のお母さんから「先生」と呼ばれていたんです。それに違和感があって。社会に出る前の大学生で、まだまだ自分は未熟な人間だと思っていましたから、先生と呼ばれる段階にいないなと感じました。この経験から、いきなり教員になるのではなく、一度社会に出て、まずは人間として成長しようと思いました。

新卒では、好きだった英語を活かして商社に就職しました。そうして少し落ち着いてきた社会人3年目の頃、やっぱり教育に関わりたいという思いがわき上がり、教員採用試験の勉強を始めたんです。でも、仕事と両立できずに諦めてしまいましたね。

その後は、メーカーに転職するなどしつつも、英語を活かして海外と関わる仕事を続けました。フェローになる前には、タイのバンコクに駐在して海外拠点の立ち上げに従事し、そこで人材採用や人材育成に携わりながら組織づくりに取り組みました。その時に、あらためて教育の大切さを痛感し、人を育てる教育という仕事にやりがいを感じたんです。

組織づくりをしていて、何よりも喜びを感じたのが現地社員の成長でした。現地社員が顧客との関係性の構築に試行錯誤したり、悩んだりしていたときに一緒に考え、サポートし続けました。そのような関わりを通して、彼らが望む結果を出すことができて喜んだり、笑顔で報告してくれたり、徐々に後輩たちを指導してくれたりする姿をみて喜びを感じました。その経験から、やはり教育に携わりたいと思い、会社を辞めて日本に帰る決断をしました。

でも、そこからすぐには教員にはなられなかったんですよね。

そうなんです。教育への思いを胸に帰国したのは良かったのですが、学校で働くことに踏み切れずにいたんです。

教員という仕事は大変だという話はよく聞くことだったので、私に果たしてできるのかと不安があったんですよね。いや、むしろ私にはできないという思いの方が強かったですね(苦笑)。そんな気持ちもあって、なかなか挑戦できずにいました。そんな私に友人が紹介してくれたのが、TFJのフェローという選択肢だったんです。

まず、魅力に感じたのは、同期の仲間がいることでした。大変な時に頼れる同志がいることは大きな安心材料になりましたね。そこで踏ん切りがついて、やっと挑戦することができました。

今思い返しても、フェローではない形で、たった一人で教育界に飛び込んでいたら、潰れていただろうなと思います。相談し合える同期がいるだけでなく、いつでも快く相談にのってくれるTFJ職員の皆さんがいたことも心の支えでした。欲しい情報がなくて不安が膨らんでいたときにも、適切なフェローの先輩をご紹介いただけて本当にありがたかったです。TFJがあったから教員を続けられていると思っています。

大人はついつい子ども達を支援し過ぎてしまう。結果として、子ども達の成長機会が先延ばしになっていることもある

続いて、赴任前から取り組みたかったことに対して、実際にどのような行動をなさったのかを教えてください。

一番取り組みたかったことは、「子ども達の成長機会を知らぬ間に阻害してしまっていないか?」という視点を先生方に持って頂くことでした。そして、行動を少しずつ変えていくお手伝いがしたいと考えていました。

先生方は「子ども達のために」といつも考えるあまり、子ども達の行動の先回りをする傾向があると感じています。例えば、忘れ物をしないようにと「道具箱は置いて帰りましょうね」と声をかけたり、なくさないように「プリントは先生が預かっておきますね」と管理したり、子ども達の失敗を未然に防ぎがちです。

これはいっけん、問題がないように見えると思います。しかし、長期的に見ると、いざ子ども達が失敗に直面した時に、自分で考えられずに、ただ指示を待つだけだったり、自己管理ができなくなってしまったりといった問題が起きてくるんですよね。

また、子ども達が自分で考えてすべきことに対しても先生が指示を出してしまえば、その結果、目標や期限に向けて、今、自分が何をどれくらい取り組まなければならないのかを自ら考え、行動することが苦手な子ども達が増え続けています。

だから私は、子ども達に「それは社会では通用しないよ」とこれまでの社会人経験を交えて伝えています。具体的には「自分で考えられない、自己管理が出来ない大人になると自分が困っちゃうよね。中学校は、失敗した後にどうするかを練習する場なんだよ」といった声かけですね。日々の学校生活の中に、キャリア教育の要素を取り入れるという形をとるようにしています。

このように社会という出口から逆算した教育を実践していくには、私一人では力不足です。周りの先生方の協力が必要不可欠なんですよね。そこで、先生方とは、とにかく対話することを心がけています。大人なので、すぐに考え方を変えることは難しいですが、これまでの社会人経験から、まずはひたすらに相手の話を聞いて、信頼関係を構築することが大切だと感じています。

2年経ってみて、周りの先生方に変化はありましたか?

最初は「対話を重ねるというゆっくりなアプローチでいいのだろうか」と不安もあったのですが、だんだんコーチング目線で子ども達と接する先生が増えてきてうれしく思っています。

教員は、どうしても”指導”をしてしまい、子ども達の声をなかなか聞けないところがあると思います。でも、私の子ども達との接し方を例に交えてお話すると、いいなと思ってくださった先生から取り入れてくださるようになりました。これは、若手だからということではなく、年齢に関係なく取り入れてくださる先生はいます。

20代の若手の先生方にとって、教員になったばかりの頃にどういう先輩や同僚がいるかで、どのような先生になるかは大きな影響を受けると思っています。団塊世代が辞めていき、若手が増えている今だからこそ、私と同年代や少し下の世代の先生方が目標を示し、彼らに伴走していくことが重要だと思っています。ここは、社会人経験から思うところもあるので、これからも取り組んでいきたいです。

社会人経験が教員という仕事で活かされているんですね。

私は遠回りして教員になれましたが、社会人経験を積めて本当に良かったと思っています。なぜなら、社会を見ているということは、社会でどのような人材が必要とされているのかが見えているということだからです。

私がもし、はじめから教員という職業を選択していたなら、きっと教科を教えるだけの先生になっていたと思うんですよね。でも、今の私なら、社会で生きていくために主体的に学び続けることが必要だと具体的に伝えられます。そういう未来から逆算した見方を子ども達に伝えていけると、その後の学校選びや職業選びも変えていけると思うんです。社会人経験のある同世代の方にも、もっと教員という職業に挑戦してもらえたらと思っています。

先生へのアプローチで子ども達に良い影響を与えたい。社会人経験を活かして学校現場で働くことを楽しくする

それでは、今後のキャリア設計について教えていただけますか?

今後も中学校で英語の先生を続けていく予定です。最初にフェローとして赴任した中学校は、小規模校で全校生徒は20人でした。英語の先生は私だけという環境だったで、次のステップではもう少し規模の大きな学校で、ほかの英語の先生方と授業づくりをしながら、より良い学校組織をつくっていくことにも関わっていきたいと思っています。働き方改革を含めて、先生方がもっとワクワクしながら学校に行けるような職員室を作りたいですね。

やっぱり私は、先生方にアプローチし続けたいと思っているんですよね。先生が変わると、その先生から影響を受ける数十人、数百人の子ども達も変わっていきます。そう考えると、一人の先生が変わることで得られるインパクトは大きく、可能性を感じています。

そういった活動をしながら、これからは一生、教育に関わっていきたいですね。私は現在52歳なのですが、60歳の定年までは学校現場で教員として挑戦し、定年後には、また違った立場で教育現場に関われるようになっていたいです。

また、今後も公立学校で先生をすることを希望しています。公立学校は多様性があり、社会の縮図だと思うんですよね。いろんな子ども達がいる中で一人も取り残さず、子ども達がそれぞれに活躍できる場所を自分で見つけていけるようにサポートしたいと思っています。そのためには私一人ではなく、周りの先生方とタッグを組んでやっていくのが大切です。

40、50代で教育現場に入っていく強みは、社会人経験があることで、周りの先生から一目置かれることだと感じています。逆に、恐れられてしまうと、敬遠されることにもつながるので難しいところではあります。まずは信頼関係を築き、チームの一員として認めてもらえるようなコミュニケーションを意識して、仲間として組織として、一緒に学校現場を楽しく働ける場にしていきたいと思います。

最後に40、50代でフェローになるか迷っている方へ一言いただければと思います。

ぜひチャレンジしてほしいと思っています。学校現場で日々子ども達と接していると、教えられることや気づかされることがたくさんあり、教員という仕事は子ども達に何かを伝えるだけでなく、自己成長にもつながる仕事だと実感しています。もちろん、苦労もあって「もっとこうすれば良かった」と思い悩むこともあります。でも、それ以上の喜びを感じられる瞬間があり、それまでの苦労や悩みは溶けてなくなってしまうんですよね。

また、今、もしもフェロー後のキャリアが心配で躊躇されている方がいらっしゃるのなら、心配ないよと伝えたいですね。2年やってみて思うことは、経験することで自分のビジョンもクリアになり、自分の進むべき道が自然とできあがっていくということです。周りを見ていても、経験したことで教師を続ける人もいるし、新しい道につながる人もいるし、やっぱり元の仕事に戻るという人もいます。それぞれ、その人に合ったキャリアに出会えていますよ。

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