フェローインタビュー fellowinterview

ヤングアメリカンズをきっかけに教員になると決めた新卒教員の想い。

大学生の頃、自分の将来について悩んだことはありませんか? 長嶺さんは、葛藤や悩みを乗り越えてTeach For Japan(以下、TFJ)に参加することを決意し、小学校教員になりました。今回のインタビューでは、そのきっかけになった原体験やいま学校現場で感じていることを語って頂きました。

長嶺成乃輔

※表は横にスライドできます。

赴任期間2018~2020(6期フェロー)
赴任先福岡県
校種小学校赴任(3年生、3年生担任)
出身大学北九州市立大学(地域創生学群地域創生学類)
教員免許臨時免許状
経歴新卒
趣味サッカー観戦、フットサル、映画鑑賞
好きな言葉なりたい自分になるのに、遅すぎることなんてない!
一言メモ目の前の子どものために必死になる瞬間は本当に最高だし、
幸せと語る純粋さが魅力。

「100%教員になりたい!」と思わせてくれた東北の校長先生のお話。

教育学部ではない長嶺さんが、教員になろうと思った理由は何ですか?

ヤングアメリカンズ(以下、YA)で変わっていく子どもたちに興味を持ったのがきっかけです。(YAは、「若者の素晴らしさを音楽によって社会に伝えよう」と設立された非営利活動団体で、音楽公演と教育を二本柱に世界中でワークショップを行っています。)

YAを知ったのは、NPO法人じぶん未来クラブが九州で開いた説明会に参加したときです。最初は、YAが歌のプロなのかダンスのプロなのか先生なのかよくわかりませんでした。ただ、自分が出会ったことない人と出会えるのであればやってみようと思ってYAをサポートするボランティア(キッズサポーター)として参加することにしました。

参加を決めてから、初めて行った大阪のワークショップで、YAのメンバーが子どもたちを心から信頼している姿を見て、YAに対する見方が変わりました。子どもたちに、恥ずかしがらずに言葉をちゃんと伝えている姿や、その言葉を信じる子どもたちの顔、涙を流しながらライオンキングを踊っている姿を見て、本当に子どもたちが変わっていくのを実感したんです。

なるほど!YAに参加した子どもたちが変わる姿を見て教員になろうと思ったんですね。

いえ、実は就職活動もしていました。先生になりたいと100%思うようになったのは、YAの東北ツアーを一緒に回らせてもらってからです。

大学のプログラムを活用して、YAの東北ツアーを3カ月間一緒に回らせてもらったんです。そのツアーを通して、多くの子どもたち、多くの教育委員会の方や先生方と出会う機会がありました。

そんな中、震災でご家族を亡くされた校長先生がYAのメンバーに当時の状況や感情を話してくださる時間がありました。校長先生は、「自分も死にたいと思ったけれど、救ってくれたのは子どもたちだった。だから、同じことを繰り返さないために大人が子どもたちを守らないといけないし、育てていかないといけないという気持ちで教育現場に立っている。」と話されていました。そのときに、「先生になりたい」と100%思うようになりました。

でも、東北ツアー中に出会った子どもたちに、自分は何もできなかったと無力感にさいなまれるようになりました。それからは、「教員になったところで自分に何かできるのか?」と自問自答する日々が続きました。

最終的には、小学校の教員になっていますが、ターニングポイントは何だったんですか?

東北ツアーから帰ってきてた大学3年生の後半は、教育への想いを持ったまま、言い訳を探して、教員になることから逃げている自分がいました。そして、形どおりに就職活動をしていくつかの企業から内定も頂いていました。

でも、福岡県の小学校で行われたYAにボランティアとして参加したときに、子どもにとって先生という大人は特別な存在なんだなと改めて感じました。それで、やっぱり「教育っていいな」「教員になりたい」という気持ちが強くなりました。そのときに、TFJという選択肢が思い浮かびました。そのあとは、内定を辞退させてもらって、TFJの選考を受けました。

TFJに参加した理由の1つは、教員免許がなくても先生になることができるということです。ただ、それ以上に、TFJのフェローに会って、情熱を持って子どもたちに接している人たちがいるのがTFJに参加した一番の理由です。

がむしゃらにやった1年目。1年目を土台に突き進む2年目!

TFJに参加してみて、素直にどんな感想でしたか?

正直なところ、TFJという名前が大きすぎると感じました。自分みたいな新卒で免許もない人間がポッと入っていいのかと思いました。出会う人たちに経歴がすごい方が多くて……(笑)

でも、赴任前の研修のコンテンツに充実感がありました。普通ではお会いすることができないような方と会うことができたのは、TFJだからこそ用意できるコンテンツだったなと思います。また、「学校の先生」に対していろんな考えを持っているフェロー(教員)やアルムナイ(フェロー修了生)と話をできたのも、教育を大学で学んでいなかった自分にとってはプラスでした。

いざ教員になってみてどんなことを感じましたか?

教員になる前からいまでもブレていないのは、「そこにいる子どもたちは、平等」というスタンスです。また、新卒で社会人経験もなかったので、がむしゃらにやるしかないと思って学校現場に入りました。

YAのような空間を作りたいと思っていましたが、現実はそれができずに葛藤する日々でした。先生方や子どもたちではなく、自分自身にギャップを感じました。具体例をあげると、学習規律やルールを守って落ち着いた生活をすることの大切さです。

1年目は、校長先生にご指導頂き週に一度指導案を書いていました。また、いろんな先生に授業も見に来て下さったので、それが2年目になって本当に生きていると感じます。周りの先生にも、「去年と全然違うね」と言って下さるようになりました。自分自身も、余裕が生まれたおかげで、ビジョンに向けた実践を積み重ねることができています。

子どもたちが「どうなりたいか」を大切にするのがこれからの指針

2年目も半分終えたいま、どんなことを考えていますか?

最近、YAのデイレクターのビルとロビンの話を聞く機会がありました。彼らは、YAはすごくないし、メンバーもまだまだ未熟だと言います。ただ、YAのメンバーは「あなたのもっている素晴らしいところはここなんだよ」と伝える力は長けていると話していました。

また、YAのワークショップの3日間の最後のショーは、パフェで言うと最後のいちごでしかない。それを作っていく3日間の工程に意味があるから、日ごろからちょっとでもがんばったりとか変わった瞬間をほめてあげないといけないと教えてくれました。

それから、子どもたちがどうしたいかを大切にするようになりました。「どうしたいの?」と問いかけるようにしています。子どもたちが自発的に「こうなりたい」と思う瞬間を一緒に作っていきたいと思っていますし、子どもたちが「自分たちでがんばったんだ」と胸を張って言える状態になったらいいなと思っています。

これからのキャリアはどう考えていますか?

基本的には、もう1年教員を続けようと考えています。先生にとって、どれだけのことを子どもたちにやってきたのか、どれだけ失敗したか、どれだけ反省して成功したのかがとても大切で、それを循環させて成長している先生方を目の当たりにして、改めて先生の素晴らしさを感じています。

また、教員という視点ではなく他の視点で切り込んで、目の前の子どもを幸せにすることはできないかなと模索してもいます。

(編集後記)
「子どもたち」という言葉を多用する長嶺さんは、教員は夢を語れる仕事と表現していました。教員になって日々葛藤し成長する長嶺さんの今後のさらなる成長が楽しみです!

Teach For Japanは、学校の教室から世界を変えていきたいと考えています。多様な教育課題があるからこそ、学校へ情熱ある多様な人材を「教師」として送り出しています。教室で生まれたインパクトを、学校・地域・社会へと広げ、教育改革の一翼を担います。

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参考リンク
ザ・ヤングアメリカンズ|じぶん未来クラブ

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