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【第2期フェロー中田さん・前編】社会の負を根本から解決できるのは教育現場。フェローという道を選んだわけ。

2017/1/11 TFJフェロー

今回は第2期フェローとして大阪の中学校で勤務されたのち、現在はマレーシアの教育機関で新たな社会課題解決のため奮闘している中田さんにインタビューを行いました。前編では、国内外2つの大学院に在籍しアカデミック分野で活躍されていた中田さんがフェローを志すまでについて伺いました。

《プロフィール》
大学卒業後、韓国の高校で日本語と英語の教師として勤務。帰国後、神戸大学大学院国際協力研究科とKorea University 国際大学院でダブルディグリーを取得。ホームレス問題をはじめとする貧困問題や不法滞在者などの社会的弱者について研究。犯罪や貧困問題を根本から解決したいという思いから、2014年フェローとなった。プログラムを終え現在は、マレーシアに渡り大使館付属の教育機関にて働いている。多文化社会、平和、貧困をキーワードにより良い社会を実現するための方法を模索している。

生まれる場所によって扱いが変わるのは不平等
社会の負を根本から解決できるのは教育現場

簡単にこれまでの経歴を教えてください。

大学時代は法学部で少年犯罪の研究をしていました。卒業後は韓国に渡り、現地の高校で教師として働いていました。そこで教育の現場を科学的にみたいという思いから、日本の大学院に進み、教育開発学という分野で貧困や平和教育に着目して研究を行いました。同時に韓国の大学院にも入学し、そちらでは国際学という分野で平和構築や人権問題、教育開発学につながる経済学や統計学を学びました。

 

韓国で執筆した修士論文のテーマは、韓国におけるマルチカルチャーの家族に対する生活の質の向上です。不法滞在者の子供が教育の機会を得られていないことに着目したり、政府が行なっている社会的弱者に対する施策が本当に対象者の要望に叶うものなのかについて検証したりしていました。

 

日本の大学院では、社会的弱者、中でも特にホームレスに着目しました。日本と韓国でのホームレス問題を事例にとり、教育によって貧困問題やホームレス状態を解消できるのかということについて論文を書き上げました。

 

大学院を2つ卒業した後、Teach for Japanのフェローシップ・プログラムに応募し、第2期フェローとして大阪の中学校で2年間勤務しました。赴任校に在籍していた子供の多くは、家が生活保護世帯や片親であるという状態でした。またいわゆる被差別集落であったため、人権問題に関しても非常にセンシティブな環境にありました。

 

現在はマレーシアの教育機関で勤務しています。


社会的弱者への支援に関心をもったきっかけはあるのでしょうか?

大学時代から海外に行く機会がよくありました。国際ワークキャンプセンター(NICE)で運営委員を務めており、世界の様々な機会を訪れる機会があったのです。そのとき、世界の中で貧困というのは非常に大きな問題だということを実感しました。

 

また高校時代、語学留学でオーストラリアに滞在していたのですが、その時のホストファミリーがイラク人でした。「イラクはすごく怖い国だ」という印象がありましたが、実際にホストファミリーとして自分をお世話してくださるうちに、国籍や育った国が違えど、変わらない部分もたくさんあると感じました。また自分はたまたま日本に生まれたから経験をしなかっただけで、同じ時代でも別の国に生まれていたら貧困問題や紛争などに苦しめられていたかもしれない、とも思いました。

 

現地で出会ったある友人から「私はこれまで途上国の人として日本人を始めとする先進国出身の人からはみられることが多かった。しかしあなたは対等な立場として私をみてくれたから嬉しかった。」と言われることがありました。その時わたしは、誰も選んでその国に生まれてきたわけではない。紛争が多く貧困に苦しむ人も多い国の出身だから、というだけで社会的差別を受ける人がいるのは不公平なことだ、と思いました。

 

加えて、大学時代の刑法の勉強も、この分野に興味をもつきっかけの1つになりました。罪を犯した少年少女に接するうち、この犯罪は未然に防げたのではないか、起こってしまってから方策を考えても遅いのではないか、という思いを持ちました。

 

誰もが通る道が教育、教育機関こそ様々な問題を解決する鍵を握っている、という感覚を、人と話すなかで持っていました。自分が貧困や犯罪など、世の中にある負のものを根本から解決できるのが教育現場だという意識から、フェローに応募することを決めました。

 

日本に貧困問題が無いわけではない
貧困が無いかのように振舞っているだけだと思った

様々な経験してきた海外でなく、あえて日本国内の格差に目を向けたのはなぜでしょうか?

大学院で海外の方と話をする際、「日本はどうなんだ」と聞かれる機会が多くありました。そこで、自分が日本の実態をあまり把握していないことに気づいたのです。

 

私は和歌山県の出身で、大学進学とともに初めて県外に出ました。その時、ホームレスという存在に出会い、ショックを受けました。学校で「人に優しくしなさい」「困っている人がいたら助けなさい」という教育を受けてきたにも関わらず、路上にいる人たちをあたかもそこにいないかのようにして過ごしている人々を見たからです。

日本には貧困問題が無いのではなく、あたかも無いかのように扱っているだけなのだと思いました。


教育現場に携わる中でも特にフェローという道を選ばれたのはなぜでしょうか?

もともと私は、先生になろうとは思っていませんでした。社会問題を解決するためにはどうしたらいいのか、と考え続けた結果、一番子どもに近くて強い影響力をもつのが家族か先生であるという結論に至ったのです。そこで、先生になるしか方法がないのだと思いました。

 

ずっと教育機関で働き続けるというよりも、研究や政策といったより上のレイヤーからも関わりたかったのですが、そういった研究機関には現場の声が届いておらず、理論で物事が決定されていることにも気づいていました。その理論が、果たして現場で使えるものなのか、疑問に思っていたのです。長い間研究されて、多くの本が出版されているのに、なかなか現場がよくなったという印象を持たない。アカデミックと現場との間には温度感があるのではとの疑問が湧き上がりました。

 

そこで、自分が研究の視点から物事を考えたことがあるという立場で現場に入り、それが現場でどんな反応をされるかみてみたいという思いもあり、フェローという道を選びました。一般的な教師であれば長期間勤めることが前提となるため、周りと協調することが優先され、過激な発言や行動をすることが難しくなります。ある意味で、無難な教師になってしまうのではないか、という懸念があったのです。フェローの場合は赴任期間の2年で成果を出さないといけませんから、密度の濃い時間を過ごせると考えたのです。

 

またフェローとして集まった人たちを見ると、他の教師に比べても信念の強い人が多いように感じました。教育現場では正しいことが通るとは限らず、無難な方向に流れる傾向もあります。そこで信念の強いフェローと会う機会や、同じような課題意識を持っている仲間と話す機会があるというのは、自分の動機に立ちかえりまたエンジンを入れ直すことができるという意味で、非常に有意義なことでした。無難な方向に流れず、確実にインパクトを与えていきたい、という意味ではフェローの方が向いていたと思います。


フェロー応募をするにあたって、懸念した点はありますか?

まずTeach for Japan自体がちゃんとした団体なのか、ということは一番に心配しました。団体の理念としては非常に魅力的なのですが、果たして本当にこんなことを実現できるのか、うさんくさいなあ、という印象が正直なところありました。特に私の時は、2期生募集中だったのでまだ事例も少なかったですしね。


その懸念は、どのように払拭されたのでしょうか?

とにかく人と会って話しました。代表である松田さんが大阪にいらした時、二人でじっくりお話をする機会をいただきました。その時、私が成し遂げたいこととぴったり合う、ここで私は働くべきだ、と思いました。フェローの採用選考では結果が出る前から、自分は受かっただろうと思うくらい、運命を感じていました。

 



中編では、中田さんがフェローとして奮闘した2年間のお話を伺います。是非お楽しみに!