フェローインタビュー fellowinterview

子どもの「選択肢」を広げるために、ヤングアメリカンズを学校に届けたい!(第三部)

2年間学校で教員をするとしたら、どのような教育活動をするでしょうか?今回インタビューさせて頂いた増永純女さんは、Teach For Japanの4期フェロー(教師)として3年間公立小学校に勤務しました。インタビュー第三部となる今回は、増永さんと一緒になってヤングアメリカンズの開催に力を注いだ4名の方にお話をうかがいました。

中藤優子さん(ヤングアメリカンズ・ボランティアリーダー)

中藤さん(左)と増永さん(右)

増永さんの第一印象を教えていただけますか?

初めて会ったのは、ヤングアメリカンズ(以下、YA)のホストファミリー説明会。顔を見たのも声を聞いたのもそのときが最初。「元気がいいな」「子どもに好かれそうやな」というのが第一印象。子どもに好かれると思ったのは、目には見えないオープンな雰囲気があったからそう感じたし、すごく好感を持ちました。

実は私も教員で、同じ教員としてあやこ(増永さん)を見たときに、そう思いました。それと、都会から飯塚に来たというのを知っていたので、都会のにおいがするなと。(笑)

増永さんに対して感じていることを教えてください。

年齢は下だけど、尊敬するシーンがずいぶんありました。仕事ができるし、気遣いの人やし、頭が良くてもそれを本気で威張ってないし、純粋やし。全然知らない土地でいろんな人を巻き込むというか、ファンを増やすというか。私が同じ年だったら、できないかなって。本人には恥ずかしくて言ってなかったけど(照)でも、本当にそうでした。

あと、同級生だったらよかったのになと思った。同じ学生時代を過ごせたりとか、中学とか高校とかずっと一緒にいれたら嬉しいなって思いました。

知り合って、深くかかわって、彼女自身のことが好きになって、後からTeach For Japan(以下、TFJ)の先生っていうのを知りました。でも、TFJの先生は期限付きっていうのを聞いて……期限が終わって、東京に帰るか福岡で就職するか悩んでいる時期に、「東京に行くようにした」と聞いたとき、涙で車の運転ができなくなって慌ててコンビニの駐車場に停車して泣きました。(涙)

予感はしてたけど、せめて福岡県内にいてほしかった。「東京だけは選ばんといてー!」と思ってました。そのときの涙は、「さみしい」「今までみたいに会えない」っていう幼い気持ちだったんだけど、(あやこのことが)好きなんですよね。

増永さんから影響を受けたことがあれば教えていただけますか?

どう言ったらいいんだろう…人とつながることの楽しさ、かなぁ。私は、筑豊に生まれて、短大で少し福岡市に行ったくらいで、地元に帰ってきて、地元で仕事して、地元で結婚して、地元で子ども産んで、地元の学校に子どもやって。そういう意味で言ったら、視野の狭いところで生きているんですよね。

英語教員という教科の特徴もあって、私自身がいろんな人とか経験に飢えてる。そこにあやこの話しや経験、ビジョン、考え方、人との付き合い方とかを聞くと、全部私にない考え方だったりして、ものすごく新鮮なんですよね。それに、あやこを通じて出会った人たちからも、いい意味で刺激を受けたり、今までなかった価値観をいっぱい受け取ったりしています。

今後の増永さんへ期待することを教えていただけますか?

小学校で卒業生出すっていうのを味わってほしい。だからまた教員をやってほしいというのはあります。あと……福岡戻ってほしい(笑)

私自身、いまから仕事を変えたり、住むところを変えたりするのはエネルギーがいるからできないと思っているんです。だから、あやこや他の活躍しているTFJのフェローの話しを聞くことで、一緒に経験しているような変な状態に入るんです。(笑)

リアルタイムで教えてほしい。いろんなことを。いま起きていることとか、東京に戻ったけど悩んでいることとか。美味しいとか、誰と会ったとか、なんかもうやってられないよね、とか。(笑)

離れてもいいけど、体はね。筑豊の中でしか生きていない私に、いろんなところからいろんなことを話してほしい。離れると寂しいけどね。「筑豊来よって!」と思うけどね。今後期待することになってないね。ごめんなさい!(笑)

渡邉福さん(ヤングアメリカンズ・ボランティア、保護者)

渡邉さん(左)と増永さん(中央)と渡邉さんの娘さん(右)

増永さんの第一印象を教えていただけますか?

見たらわかると思うんですけど、朝の連続テレビ小説に出てくるような爽やかな方。第一印象からオーラが違っていました。でも、話すとすごい気さくだし、みんなから愛される方だったので、すぐ大好きになりました!

増永さんと一緒に活動する中での印象を教えていただけますか?

娘が特徴がある子だったので、交流学級の担任として増永先生とは知り合いました。YAの関わり以外にも、『みんなの学校』の上映会を企画しているときに乗っかってくれて、木村泰子先生をお招きするきっかけになってくれました。

印象的だったのは、増永先生が、YAの話をPTA役員会でプレゼンしたときです。そのときは、PTA会長から好意的な反応をもらえなかったんです。増永先生は、「あぁー困った……やっちゃった。。」というのが表情が出るので、それを見て「助けないといけないな」と感じました。

それで、YAのホストファミリー説明会が開かれたときに、「にぎやかしでもいいから絶対行かないと!」と思って参加したんです。参加してみたら、4,5人だったかな。「これはいけない!」と思って、自分の知り合いに声掛けを始めました。

あと、ホストファミリーが集まらなかったときのことを考えて、地域の宿泊施設への交渉にも一緒に行きました。でも、無下に断られてしまうこともあって、、、逆にそれで私が怒り心頭になって、「私が絶対に集めます!」とか言って、校区関係なくホストファミリー集めのために声かけをしていきました。いま振り返ると、あの怒りが逆にパワーになりましたね。(笑)

結局は、増永先生のクラスの保護者も周りに声をかけてくれて、あとは学校の先生たちですよね。小学校の先生方がホストファミリーを受け入れてくれていた。それで思うのは、増永先生のキャラクターっていうか、大好きで応援したいって、みんなそういう気持ちになるんでしょうね。

増永先生の「困った~」っていう顔。あの顔見たら、助けてあげなきゃって気になるんじゃないかな、みんな。「あやこが困ってる~。助けてあげなくちゃ。」って。

増永先生って、たぶんSOS出すのがへたなんですよ。だから、全部自分でやっていて。学校の仕事しながら、じぶん未来クラブとのやり取りもしていて。たぶん、睡眠時間を削ってやっていたので。。。地域開催のときも、当日のシフト表を増永先生が作ってくれていたんですけど、データがくるのが真夜中とか明け方……本当に寝ずにやってたんだろうなと思います。走れメロスじゃないんだけれど、「必ず来る!」みたいな感じです。(笑)

増永さんから影響を受けたことがあれば教えていただけますか?

それは、もうたくさんあったと思いますね。YAを飯塚に持ってきてくれて、これだけ定着している。いまでも心配してくれてるのがわかります。その辺りの心配りとかを見ていると、本当にこうやって人のためにやるのがいいよなって思わせてくれますし、幸せな気持ちにさせてくれる

あと、オーバーアクションなので、あれも素晴らしいなって。増永先生のことを人に話していると、「そういえば居酒屋ですごい手を叩いている人がいた。あの人ですよね。」って言われることもあります。

あっ、タクシーのおじさんの話知ってます? 飯塚にいたときに、おかかえタクシーみたいな人がいたって話! タクシードライバーが、「なんか、あんたもう心配だから、自分の名刺渡すから、なんかあったらここに電話しなさい。」って言われて、なんかのときはご飯ご馳走してもらったとか言って。(笑)

なんかそういう、人に恵まれている人なんだろうなって。そういう話聞くと、自分たちも幸せな気持ちになれるからいいですよね。世の中悪い人たちばっかりじゃないんだよねって。

増永先生は、熱いし、一生懸命だし。そういうのが伝わる人には伝わるんだと思います。人と運に恵まれている方だと思います。

今後の増永さんへ期待することを教えていただけますか?

その猪突猛進さを失わず、どこまでも突っ走っていってほしいなって。本当にそれだけだなって思います。みんな増永先生のことが大好きなので。

末永喜美子さん(赴任校の校長先生)

末永校長先生(左)と増永さん(右)

増永さんの第一印象を教えていただけますか?

最初に会ったのは、私が教育委員会にいたときで、とても活発な女性だなと思いました。増永先生がどういう人かということは、履歴書や事前に受け取っていた情報から、「卒論でヤングアメリカンズを研究していたこと」「スーモに勤めていたこと」というのも知っていて、思った通りの魅力ある人材だなと思いました。

(事前の情報がなかった)赴任先の校長先生が、増永先生と3月末に学校で会ったときに、とっても「前向き」で「意欲的」な人材という印象を持たれて、彼女を活かした学校経営をしたいと思われたそうです。

実際に、初年でいきなり5年生の担任になったし、彼女の特技であるダンスを活かしてダンスクラブができたりしました。彼女が学校に新しい風を吹かせてくれる人材だって私も感じたし、前任の校長も期待をしました。

増永さんの活動への率直な感想を教えてください。

実際に、一緒に仕事をしながら見ていると、前向きで明るいし、色んなことを工夫するし、子どもと関わることを面白がっているし、とてもエネルギッシュに行動していました。

それに、自分で企画したことをカタチにして、子どものためにいろんなことをやっていく彼女の姿は周りの先生方にもいい刺激になっていたと思います。総合的な学習にザンビアに行ったダンサーの方をお招きして、ザンビアとオンラインでダンスをしたり、じぶん未来クラブの方とコラボレーションして1/2成人式をしたり。

ただ、指導力に課題はあったと思う。教科の指導力については、教員養成課程を受けて勉強してきたわけではないし、周りの先生方に教えてもらいながら、試行錯誤していました。

子どもたちに、十分学力をつけてあげたり、わかるように教えてあげたり、思春期の男の子がなかなか自分の方を向いてくれないというもどかしさはあったと思う。でもこれは、実際に子どもと接してクリアしていかないといけないと思う。だから、「あーしなさい!こーしなさい!」とは言わないようにしようと思って、ある程度は彼女に任せていたかな。

いま思えば、1年目に指導法をしっかり伝えて、勉強してもらった上で、2年目があった方がよかったのかなと思ったりもするけれど……増永先生は学ぶ姿勢がある子だから。試行錯誤しながらやっている様子を見て、ベストだったのかどうかはわからないけれど、あれはあれでよかったのかなって。

北九州であったヤングアメリカンズのワークショップをなぜ見に行こうと思ったんでしょうか?

増永先生が、学生時代に自分のエネルギーをたくさん使って、自分の生き方を変えるような、YAとの出会いと東北の震災支援と聞いてました。そんな彼女の熱い想いを聞いていたので、「ヤングアメリカンズってどういうものなんだろう?」って私自身、興味を持っていました。

それに、私の管理職としての役割として「フェローを育てる」っていうのもあると思っていました。なので、純粋にあやこちゃんを理解したいというのもありました。それで、なんとなく「いきませんか~?」と教育長を誘ったんです。だから、無理やり連れて行ったわけではないです。(笑)

今後のTFJへ期待することを教えてください。

そもそもTFJが飯塚市に入ってきた背景っていうのが…当時の教育長(現市長)が松田さん(TFJ創設者)の「教育で社会を変えたい」という志、熱い想いにとても共感されて、ぜひTFJのフェローを飯塚市にということがあります。

もう1つが、TFJのフェローが外からの風となって、周りの教員にいい刺激を与えてほしいという教育長の想いがありました。TFJのフェローはそれぞれ特技を持っている、熱い想いを持っている。だから、ただ単に教員不足で講師を補充するということではなくて、大きな意味のあってのTFJの受け入れでした。

フェローの中には教員をそのまま続ける方や、教員経験を活かして教育を良くしていこうと思っている方がいます。どんなキャリアを進むにしても、学校で経験したことをもとに、教員の視点で、教員を実際にされたからこそ見える、これから先の子どもたちが生きるのに必要なものがなにかってことを提案してくださったり、教員の働き方を提案してくれると助かります。教員という過程を通って、先に進む道があると思うのでそこでの学びを還元してほしいです。

子どもたちの教育が、より先(未来)につながるようなことを、フェローがつないでくれたらありがたいな。

梶山智恵さん(赴任校の同僚の先生)

梶山先生(左)と増永さん(右)

増永さんの第一印象を教えていただけますか?

人が良いっていうのが第一印象かな。笑顔が良くて、笑い声が大きいので。初めて話したときの印象は、何事もあんまり重く考えず、前向き。大変かなって思うことでも「よし!やってやろう!」っていうぐらいに受け止めている感じがしましたね。

ちなみに、見た目で言うと、背が高くて、スタイルが良くて、おデコがきれいだなと思いました(笑)

増永さんの活動への率直な感想を教えていただけますか?

職員会議のときに、みんなある程度「しかたないよね、こんなんだよね」って馴れ合ってしまっているような状況で、あやこ(増永さんのこと)が「それってどういうことですか?」って質問してたんですよね。

学校現場では当たり前になっていることに質問する人っていなかったから、「あぁ~、そうよね」、「おかしいよね」って。自分たちとは違った目線で、話しを聞いて質問する姿を見て、新しい風を吹き込んでいるよなって感じましたね。

ヤングアメリカンズのことを聞いたとき、梶山先生や周りの先生方はどのように受け止められたんですか?

YAって、実際に見た人は子どもたちに必要だなっていうのがわかるんです。でも、誰もYAを見たことがなかったので、「なにそれ!?」っていう感じのスタートでしたね。

私の主人は中学校の教員なんですけど、実際に見てないから、ホストファミリーを引き受けてるのに、いまいちYAがわかってなかったですね。でも、息子がYAのホストファミリーをしたことで、すごい影響を受けたんです! 

息子さんはどんな影響を受けたんでしょうか?

ホストファミリーをしたとき、息子は泊まりに来ていたYAのキャストと英語で全然しゃべれなかったんです。だけど、しゃべれなかったことで、「もっとしゃべりたかった!」ってなったようでした。2、3日のことだったんだけど、それから中学生(当時)だった息子は、高校は英語科に行きたいって言い出して、いまは高校で英語科に通ってるんです。

それに、中学校の卒業式の時に、息子が私にお手紙をくれて……「自分は将来YAに入りたい。いろいろな経験させてくれてありがとう。」みたいなことが書いてあって、すごいうれしかったですよ!

実際にYAに入るかどうかはわからないけど、英語を活かした仕事をしたり、海外に行ってみたいって気持ちが芽生えて、視野が海外に広がったんですよね。あやこが来てなければこんなこと絶対なかったです。

それに、息子がYAに参加したときのショーを主人が見たときに「これを学校でできるってすごいね」って言ったんですよ!!

なるほど!ご家族の変化をそばで感じられたんですね。梶山先生自身にも変化はありましたか?

私自身は、教職員のワークショップを受けました。最初は踊りを習うんですけど、途中から自分で好きにやりなさいってなるんです。そこで、踊れなくて戸惑っていると、自然にYAの子が来てくれて一緒に踊ってくれるんですよね。そして、「Good job」とか「Great」とか言ってくれる。

そのときに、できなくてもそばに寄り添って「それでいいんだよ」「できるじゃない」って言ってくれるだけで、すごい心がホッとした自分がいました。これを子どもたちにちゃんと伝えないといけんよねって。

ともすれば、親や大人は子どものできないことを怒りがちだけど、「できたじゃない」「それでいいんだよ」って言ってあげたら、子どもたちって、もっと自信を持てるのかなって。ワークショップを受けて、それを活かせるようになりたいなって。自分が変わったところはそこかな。

たくさんの変化があったんですね。なにか増永さんから影響を受けたことがあれば教えていただけますか?

私、一昨年まで講師だったんですよ。でも、自分の夢に向かってチャレンジしているあやこを見て、一昨年教員採用試験を受けたんですよ。だから去年は新任ですよ。(笑) 

結婚して、子供も育てて、いまさらって思ってたけど、チャレンジしているあやこを目の前で見て、「自分もなんかやってみよう!」って思って受験しました。家のことをしながらの初年度研修は大変でしたけど。(笑)

最後に、今後の増永さんに期待することを教えていただけますか?

あやこが、子どもたちに良い影響を及ぼすっていうのを目の当たりにしてきたから、今後も、子どもや教育に関われることをしてほしいです。一番の希望は、教員になってほしい。そして、できれば飯塚に帰ってきてほしいですよね。子どもたちも保護者の方もみんな待ってると思います。

(編集後記)
ヤングアメリカンズの取り組みは、教育委員会にも評価していただき、飯塚市では毎年学校開催が継続されています。さらに、地域開催や近隣地域の自治体でもヤングアメリカンズが開催されるなど、活動の広がりの輪ができています。増永さん本人の話や地域のボランティアの方々、校長先生、同僚の先生を三部にわたってうかがうなかで、「子どもたちのために」という純粋な想いは、多くの人の共感を呼び広がっていくと改めて実感させてもらうことができました!

第一部と第二部を読まれていない方はこちらからどうぞ↓

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