【第2期フェロー中田さん・中編】貧困、発達障害、家庭環境の複雑さ……問題を抱えた子どもたちに向き合った日々

2017/1/11 TFJフェロー

今回は第2期フェローとして大阪の中学校で勤務されたのち、現在はマレーシアの教育機関で新たな社会課題解決のため奮闘している中田さんにインタビューを行いました。中編では、子供達を授業に向き合わせるまでの苦労、そして立て直した頃に見えてきた新たな課題について伺いました。


《プロフィール》
大学卒業後、韓国の高校で日本語と英語の教師として勤務。帰国後、神戸大学大学院国際協力研究科とKorea University 国際大学院でダブルディグリーを取得。ホームレス問題をはじめとする貧困問題や不法滞在者などの社会的弱者について研究。犯罪や貧困問題を根本から解決したいという思いから、2014年フェローとなった。プログラムを終え現在は、マレーシアに渡り大使館付属の教育機関にて働いている。多文化社会、平和、貧困をキーワードにより良い社会を実現するための方法を模索している。

英語を教えること以前に
席に座らせ自分の話を聞いてもらうこと

フェローとしての2年間で行った、教室での実践を教えてください。

1年目は副担任という立場でクラスに入り、英語の授業は4クラス受け持っていました。荒れた学年であり、前年度には1年間で何度も担任が変わったり、非行が頻繁に発見されたり、英語の授業も1回3〜4行しか進まなかったり、という状況だと聞いていました。

実際に赴任してみると、英語を集中して勉強することはおろか、椅子に座ることすらできない状態でした。私が教室のドアを開けて呼びかけても、まずその声が通らないほど教室の中が騒がしかったですね。授業を始めても携帯電話を触っていて、なかなか意識を教師に向けてもらうことができませんでした。

そんな状態でまず私がしたのは、学校に赴任した理由を説明することです。必死の思いで子供に呼びかけ、自分たちの目の前にいま先生という存在が来ているのだということを気づかせました。次に自分が先生になるまでのストーリーを話し、少しずつ話を聞いてくれる子を増やしていきました。自分が海外で経験してきたことや、それを彼らに関わりのある大阪の実態と比較して話すことで、私に興味をもってもらうようにしました。私の話を聞く、という姿勢をだんだん身につけさせた上で、洋楽を聴かせるなどして、少しずつ英語の勉強に意識を向けさせました。

英語の教授法というよりも、椅子に座らせ自分の話を聞いてもらうためにどうしたらいいか、というところから取り組みは始まりました。


1年目と2年目で、変わったことはありましたか?

1年目の始まりは先ほどお話ししたような状態でしたが、1学期の終わる頃には勉強する姿勢が身につき、2学期には私自身が英語を教えることを楽しめるくらいの状態になっていました。そこで次に、授業の質自体を上げなければならない、教授法を磨かなければならないという意識に変化してきました。

子供たちはスポンジのように様々なことを吸収するような時期にありましたから、彼らの目のキラキラをどうしたら見続けることができるかには注意しましたね。 また落ち着いた環境ができてから新たに出てくる問題として、勉強してもなかなか伸びない子の存在です。「努力してもだめだ」という意識を「努力をすれば変われる」という意識に変えていくことが必要だと感じていました。

また自分の英語教授法を磨くことと同時に取り組まなければならなかったのが、いわゆるグレーゾーンと呼ばれる子への対応です。本当に筋の入ったワルというのは、学園ドラマで出てくるような熱血指導をすることで、自分に向き合ってもらえたという実感を得て、だんだん大人しくなります。しかし発達障害などを持つ子たちはそもそもなぜそれをしてはいけないのかということがあまり理解できていないこともあります。そのまま生徒指導を加えてしまうと、パニックを起こしてしまい、結果として行動がエスカレートすることもあるのです。


関心の対象が広がっていったということですね。

大学院でホームレスの研究をしていたときにも、ホームレスになる要因の一つとしてグレーゾーンであることが挙げられるという認識がありました。加えて、現場で実際の様子を見たことにより、私の興味は特別支援教育の側にも広がっていきました。そこで2年目、私は持ち上がりで通常学級をもつのではなく、特別支援学級で発達障害をもつ子との架け橋になるという道を選びました。2年間で教えることを教え尽くさなければいけない、という意識があったことが、この決断の決め手にあります。

幸い、赴任先は特別支援教育にも非常に力を入れている学校でしたから、学校内での研修などを先生と一緒に受け、ともに考えることもできました。また教師どうしのつながりを構築することも、苦心したことの一つです。特別支援学級の担任と、通常学級の担任との間には温度差があります。通常学級をもつ担任の中には、子供たちは生徒指導をすれば必ずいうことを聞くと考えている方もいらっしゃるのです。特別支援に行く先生は力がないから追い出されたんだ、と言われることもあります。しかし実は、支援目線で考えて行くと、障害を持っている子だけでなく生徒全体にとって良い効果がある、と私は考えており、学校全体にそういった風潮を作りたいと思って特別支援側から取り組みを進めていきました。

たとえば、暴れている子がいれば近くに寄って「何かしんどいことあるんやろ」と声かけをしたり。頭ごなしの指導ではなくて、本人の特性を捉えて一緒に解決していくという姿勢に変えていきました。

改めて気づいた「見えない貧困」の深刻さ

赴任中に、最も困難だったことはどんなことでしたか?

自分が貧困研究を長い間していたにも関わらず、目の前にいる子供がペンも変えないような状態だということに、1年目の終わりあたりでやっと気づいた、ということが自分でもかなりショックでした。海外では自分が貧困状態にあることを前に前に出してくることが多いです。一方で日本では逆に貧困を隠すことが多いのです。

 

1年目には、自分が経験したことのないような荒れた学校の姿にショックを受けました。しかし自分の中ではそれよりも、目の前の子供の深刻な状態に気づくまで時間がかかったことの方がショックが大きかったです。

2年目は担任をもったことで家庭訪問も行いましたが、そこで子供の家がとても集中して勉強のできる状態ではないということを、目の当たりにしました。また生活保護世帯でかつ特別支援学級に通っているという子供がほとんどなので、お母さんに対しても支援が必要なことも多くありました。印象に残っているエピソードとしては、生徒の家庭状況についてまとめた資料を担任団で確認していた時のことです。世帯年収の欄で0がひとつ足りないと思い、この資料は間違っていますと他の先生に持っていきました。しかし、実際には間違っておらず、世帯はその収入で1年間暮らしていたのです。

3年生になると修学旅行費を集めなければいけません。世帯収入を知った上で、決して安いとは言えない修学旅行日を請求するのは、とても胸が痛みました。また、母子家庭で子供は2人とも支援学級に通っており、母親もうつ病を患っている、というケースのように問題が複雑に絡み合っている場合、どこから自分が手を差し伸べたらいいのか非常に悩むこともありました。



後編では、フェロー修了後の道や現在の様子についてお伺いします。